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カテゴリ:おもひ( 52 )

Happy New Year!


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いつぶりのブログ更新でしょうか?

2012年も終わってしまい、2013年を迎えてしまいました!

昨年は大好きな祖母が亡くなったり、家族が入院したりといろいろあった一年でした。

ことしのお正月はひっそりと。

おばあちゃんが一緒ではないお正月は初めて。

なんだか寂しかったけれど、家族みんな元気に新年を迎えられたことに感謝です。

みなさま、今年も一年よろしくお願い致します。

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11月にお友達のまちこ姉が笠間に遊びに来てくれたときに 彼女が撮ってくれた写真をのせます。

まちこ姉とは16年ほど前にイギリスで知り合い、それ以来のおつき合いです。

再開するのは10年くらいぶりだったかな?

いろんなアンテナを持っている素敵な女性です。

まちこ姉のブログも是非!みてみてくださいな。

★Spice-kissed

Thank you my sweet mate, Machiko!!! Love ya!
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by vivianmadokita | 2013-01-02 12:34 | おもひ

ばあちゃん ばあちゃん!


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先週の月曜日に大好きなおばあちゃんが脳梗塞で倒れてしまった。

今までも脳梗塞はしたことがあったけれど、今回は広範囲に及んでいて最善でも寝たきりになりますよ、という先生の言葉に涙が止まらなかった。

あれから11日が経つけれどおばあちゃんはお目目を開けてくれない。

彼女とあと少ししか過ごせないのなら 毎日会いに行かなくちゃ、と思い昨日もおばあちゃんのベットの隣に腰掛けて 読書をした。

読書といっても それは私の宝物の一つである、 私が保育園に通っているときの母と保育園の先生がつけた「連絡ノート」だ。

私も今 保育園の先生とりんたの育児について連絡ノートでやりとりしている。

だから今の私にとってはこれはものすごく役立つ本なのだ。

2年分くらいあるこのノートには それこそ私という人間がどういう風であるかが事細かに書いてある。

1歳の頃から自分はこんな風だったんだ、と今も変わらないようなこともあるし、読んでいてフフッと笑ってしまう。

そしてこの連絡ノートに時々登場する言葉、”ばあちゃん”。

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この日の先生の文章には涙が止まらなかった。

「1979年11月26日
昨日おやつ前にちょっと他の子に押されたら泣き出し、”ばあちゃん ばあちゃん”といいながらしばらく泣いて せっかく泣き止んだのにまただれかにやられて泣き出し、”ばあちゃん ばあちゃん”と連発。 おばあちゃん は困ったときに助けてくれる大事な人なのかもしれませんね、円ちゃんには。」


これは大人になってもそうだった。

ばあちゃんはいつも私を助けてくれた。

鍵を忘れて遊びに出かけて朝帰りしたときは ばあちゃんの部屋の窓をたたけば ばあちゃんは怒りもせず 説教もせず 起きてきて 玄関を開けてくれた。

好きな男の子にバレンタインのチョコレートをあげたいと言えば、チョコレートを買ってくれた。

彼氏に手作りお弁当を作ってあげたい、と言えば一緒に買い物に行ってくれて 一緒にお弁当を作ってくれた。

お金の無い私に、「これで彼と一緒に美味しいものでも食べておいで」といっておこづかいをくれたりもした。



私は大きくなりお嫁さんになり晴れ姿をばあちゃんに見せたし、子供を生み、ばあちゃんにはひ孫となったりんたをばあちゃんに抱かせることもできた。

それでも 今私は毎日、 もう一度抱かせてやりたい、、もう一度一緒にゴハンが食べたい、 もう一度一緒に冗談を言って笑いたい、と思ってしまうのだ。

どんなに年を重ねても、私はばあちゃんの前では小さな子供のように感じる。

病院のベッドのとなりでフンフンして泣いているのだから。


家族で相談して延命措置などは一切行わないということにした。

自然に自然に見守る。

ばあちゃんは痛いや苦しいなどは一切なく 眠り姫になっている。

お姫様がもう一度だけでいいから眠りから覚めてくれないかな。

やえちゃん!私の声が届いていますか?
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by vivianmadokita | 2012-06-28 11:31 | おもひ

うたの記憶


今日の徹子の部屋には 井上陽水が出ていた。
なんでも30年ぶりの出演だって。
前回出演時のVが流れてたけど、そりゃー30年前は彼だって初々しい若者だった。

30年前の私は4歳だ。

4歳の頃かどうかは覚えていないけど、当時すんでた小さな小さな家で パイオニアのステレオから流れ来る井上陽水の歌をよく聞いていた。

うちの母が彼の曲が好きだったからだ。

母はよく休日に掃除をしながら 陽水のレコードをかけながら掃除などをしていた。

幼子の私の好きだった曲は、渋いけど、招待状のないショー傘がない、だった。

少年時代夢の中へも好きだったな。

斎藤ゆきが後に 夢の中へをカバーしたときは、なんだか嫌な気分だったのを覚えている。

陽水の音楽には いい曲がいっぱいあるよねー。

今日番組で歌ってくれたのはこの曲。⇒

徹子さんがジーンときているようだった。

私もジーンとしちゃった。

他にも安全地帯や大塚博堂なんかのレコードもあったなー。

私の音楽好きの原点はそこなのかなー。

小学生になり、はじめてかってもらったレコードはチェッカーズ、ギリギリハートの子守唄。
そのあと 光GNEJIの大ファンになり、泉町の川又楽器店で何枚もレコードを買ってもらった。
私の光GENJIへの入れ込みようは相当なものがあった。
新しいレコードが出るとすぐに父を誘い、レコード屋さんに行くのが本当に嬉しかったなー。
すごくワクワクしたんだよな。

うたの記憶ってのは、すごいなー。

井上陽水の歌を聴くと、小さな頃の記憶が鮮明によみがえった午後。

小さな頃は分からなかったけど、最近では母がよく言っていたことの意味がよく分かるようになった。



陽水はしゃべらないほうがいい。笑
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by vivianmadokita | 2012-04-05 17:31 | おもひ

フレンチトーストの思い出


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さっき、かしゃま文化会館のブログで フレンチトーストの写真をながめてたら 思い出したことがあった。

大親友との思い出。

みきちゃん。 私の大親友。

彼女と私は、よく一緒に 何かを食べることが多かった。

それというのも 彼女は 超スタイルがいいのに、胃下垂の大食いだからだ!

でも 基本的に美味しいものを食べることがすきなのだ。

私たちが中学生くらいのころまでは 水戸の町にもたくさんの喫茶店があった。

名前は忘れちゃったのだけど、南町の はまの っていうかばん屋さんの二階にあった 薄ぐら~~~い喫茶店によく行っていた。

テーブルとイスは 重厚な木材で作られていて、 でこぼこしてたっけな。

店内は結構広くて、カウンター席もあったよな。

夏休みに 図書館で一緒に勉強しよう!なんて言って集まるんだけど、 結局 休憩、休憩!とかいって その喫茶店に行って 食べていた。

そこの 裏メニュー!

フレンチトースト!

なんでみきちゃんは そこの裏メニューなんて知っていたんだろう?

たぶん 私が人生で始めて食べたフレンチトーストが それだった。

感動しちゃって、これ どうやって作るんだ?!
って 店のおばちゃんから教えてもらって 家でも作ってみた、 気がする。

粉のお砂糖がかかっていて、 メープルシロップも たぶん かかってた。

美味しくて、美味しくて!

そこの喫茶店では いろいろ食べてたけど、 フレンチトーストが一番美味しかったな。

みきちゃんとは、本当に色々さぼって 一緒によく食べてた。

私たちお金持ちだったな。あんなに 食べてばかりいたんだから。

ファミリーマートの 骨付きソーセージとか まるごとバナナとか。

泉町3丁目のバス停前にあった パン屋さんにあった 揚げてあるチーズパンも絶品だった!

それから 京成の2回にあった 喫茶店の ババロアもみきちゃんが 教えてくれた。

今年の夏 懐かしくなっちゃって、そのババロアを探し当てて みきちゃんにも 買って行ってあげたら、彼女は覚えていなかった。。。

みきちゃんらしい。

そんなみきちゃんも 2児のママになった。

私の子供と みきちゃんの次女が 同級生になった。

みきちゃんは 私の予定日の数日前から、

「どうした?!生まれた?」

って、なんども電話をくれた。

彼女は 本当にクールな性格だから、これは彼女と20年以上付き合ってきた私には、とても驚いたことだった。

どんなに長く付き合ってても、その人の知らない一面って あるんだね。

という私に、だんな様が、

「みきちゃんも、みんなも すごく まどかの赤ちゃんを楽しみにしてくれているんだよ」

と、言ってくれたっけな。

本当に みきちゃんは 私の赤ちゃんを一番 楽しみにしてくれていたみたいだ。



みきちゃん。これからもずっとずっと仲良しでいようね。

お互い大人になっちゃって、時間作るの難しくなってきてるけど、昔みたいに 美味しいもの 一緒にいっぱい食べようね。

フレンチトーストでみきちゃんを思い出した朝でした。
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by vivianmadokita | 2011-12-08 10:20 | 未分類

大丈夫!


昨日は 息子を産んだ産院へ 息子のおへそを 診てもらいに行ってきました。

産後、何度もその産院にお世話になっているのだけど、最近 中国人や韓国人の妊婦さんを多く見かける。

会計を待っていると、隣に座った妊婦さんが話しかけてきた。

「何ヶ月(なんかげちゅ)ですか?」

と、訛りのある日本語で 聞いてきたのだ。

「まだ1ヶ月とちょっとですよ」

と、答えると、今度の日曜日が出産予定日という この妊婦さんとのおしゃべりが始まった。

韓国人の彼女。

韓国では 産院は 出産後3日程度で退院し、その後 産後のママのケアをしてくれる 施設?病院?みたいなところに 入るそうだ。
そこでは全身のマッサージや、授乳や育児のことはもちろん、様々なケアを万全にしてくれるそうだ。

日本にも そいういうところあったらいいのにね。絶対人気出るよね。

彼女は、 予定日もうすぐなのに 赤ちゃんぜんぜん下がってこない、って とても不安そうに話していた。 赤ちゃんも私も大きくなりすぎたらいけないから、一生懸命 毎日動くようにしている、とも話していた。彼女は自分から先生に 早めに入院したいです、と言ったそうだ。
彼女が生まれたとき、彼女のお母さんは帝王切開だったから、自分も手術になったらどうしよう、と話していた。赤ちゃんは未だに毎日毎日おなかを蹴飛ばしてくるから、痛くて眠れないって。。。

だから、私は私の出産経験の話を 彼女に話した。

誘発入院で 陣痛始まるまでに3日かかったこと。
誘発剤は 普通の陣痛よりも 痛いこと。
私の赤ちゃんも あなたと同じように 最後の最後まで下がってこなかったこと。
下がってこない(出たがらない)赤ちゃんは ママのおなかの中の 居心地がいいんだって ということ。

でもね、それでも 必ず 生まれてくるよ。っていうこと。

私も 産前、出産に対して 不安で不安でたまらなかったのだ。

そんなとき、友人が私に言ってくれた言葉。

必ず生まれてくるから 大丈夫だよ!

妊婦さんは それが初産ならなおのこと、 とても不安なものなのだ。
韓国人のその妊婦さんの言葉や その声のトーン、顔の表情からは 彼女の不安が全身で伝わってきた。

だから、私は 彼女に 大丈夫だよ、ってことだけを伝えたかった。

産院だけでなく、世の中の看護士さん、そしてお医者さんたちには 患者さんの不安な気持ちを受け止めて、少しでも安心させてあげて欲しいです。

頑張ってね、じゃなくて 一緒に頑張ろうね、って言ってくれたらいいのにね。

病院へは みんな 大きな不安を抱えていくのだから、 行った先では 少しでも その不安を和らげてあげて欲しいです。

韓国人のあの彼女にも もうすぐ かわいい赤ちゃんが生まれてくるんだね。

名前も知らない まったくの他人だけど、 心から祈りたくなる。

無事に赤ちゃんが生まれてきますように。
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by vivianmadokita | 2011-11-01 13:33 | おもひ

My best friend


今日は 大好きで大好きでたまらない客人が来た。

彼女は 私の大切な大切な親友だ。

彼女とは 年に一度くらいしか会わないけど、会えばいつも 昨日もおとといも一緒に居た気持ちになる。




昨日 彼女から突然、

「明日遊びに行ってもいい?」

っていうメールが来て、

「いいよ」

って返した。

私たちは いつも そういう感じだ。



彼女は 私が妊娠したことを誰よりも喜んでいた。

私の飛び出したお腹を ず~~~っとなでていた彼女の笑顔。

今日は、その笑顔を見られたことが 私にとってはシアワセだった。



私と彼女は 20代前半 同じ時期に 同じような辛さを味わっていて、

今思えば あの時 贅沢な辛い時間をともに過ごしていた。



私は 昨日 ちょっとしたマタニティーブルーで 気持ち的にズドーンと落ちていた。

だから 昨日 彼女が 遊びに行ってもいい?のメールをくれて ものすごく嬉しかった。

いつだって 彼女は 私の気持ちが落ちていることを察知したかのように 連絡をくれるのだ。

また その逆もあるのだ。

彼女は 今日、帰り際に 言った。

「今日、きてよかった。 元気なれたよ、ありがとう。」

彼女もまた きっと 昨日までは あまり 元気ではなかったのだ。




これからも そして いつまでも、

私はあなたが大好きです。

I love you sister, my best friend, Shigemi!
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by vivianmadokita | 2011-08-28 16:18 | おもひ

the good always follows the bad


the good always follows the bad 

(悪いことのあとにはいいことが必ず付いて来るんだよ)

イギリスのパパからきたメールに書いてあった言葉です。

今朝 そのメールを読んで、ジーンとしてしまいました。


パパとママとは、私が初めてイギリスに留学したときに出会って以来、ずーっとおつき合いしています。

ホストファミリーの家のご夫婦で、私のイギリスの両親です。

あれから15年。

パパとママもだいぶ年をとりましたが、パパはiPad、ママはemailを習って、いまではメールでのやりとりをしています。

2人とも ここのところ具合が悪いらしく、それでも地震にあった 私のことを気遣って 時々メールをくれるのです。


彼らの住むDevonの町の 小さな語学学校に通いだして、最初の一週間、パパの腕の中で泣いたこともありました。

友達の家で飲んだくれて 泊まってしまい、パパに心配をかけてしまったこともありました。
あの日、パパは警察やら 救急病院やらに電話をして 寝ないで朝まで私を待っていました。

私が元気が無いときは、普段は食べないデザートを私のために作ってくれたママ。
何も言わずに出してくれて、私が食べ終わると 「少し気分は良くなった?」
と、声をかけてくれました。

私がロンドンに引っ越してからは、 時々 都会の生活に疲れると パパとママのところへ帰り、元気をもらいました。
「お湯かけて出来上がる食べ物は 絶対ダメよ!」と、ママは痩せた私を心配してくれました。
私が ロンドンの愚痴を言うと、
「だから ここに居ればいいと いったんだよ」と、パパが「いつでも 帰っておいで」
と言ってくれました。


私が パパとママのもとを去る朝、 パパはそれまでも沢山の留学生を見送ってきましたが、 バスターミナルまで見送りに来たのは私が最初で最後だったそうです。
あの日は雨でした。

走り出したバスの中、 泣いても泣いても 涙が止まらなかったのを覚えています。



もうすぐ母になる私。

私の家族を連れて、みんなでパパとママに会いに行きたいな。

Dad and mom! I am doing good and thinking of you.....
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by vivianmadokita | 2011-08-25 10:13 | おもひ

Bye for now


It is always "them" who give me the energy.

I just learn things from them all the time.

I'll be back for you, girls!

Thank you and I love you.

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by vivianmadokita | 2011-07-25 20:47 | おもひ

そうめんを作りながら思ったこと


こどものころ 夏休みなると 白河のおばちゃんの家によく連れて行ってもらった。

おばちゃんは うちのおばあちゃんの妹だ。

彼女たちは7人兄弟。

うちのおばあちゃんは 長女で、一番最初に生まれた。

おばちゃんは下から2番目。

その他は全員 男。

うちの おばあちゃんは 下の6人を育てたようなものだ。

おばあちゃんは まだ子供だった 白河のおばちゃんを 自転車の後ろに乗せて走っていたとき、

間違えて おばちゃんを落っことしちゃったことがある、って話を聞いたことがある。

昔は 先に生まれた人は そうやって 下の子たちの 面倒をみたんだって。

だから 今でも 兄弟たちは 全員 うちのおばあちゃんには 絶対服従。

おばあちゃんが 入院をすれば 福島から 横浜から みんなが お見舞いに 集まる。

私のことも みんな 自分の孫のように 可愛がってくれた。

そんな兄弟たちも 1人減り、2人減り。

去年は 義理の妹も含めれば 2人亡くなり、 そしてこのあいだまた 1人亡くなった。

残っているのは、 うちのおばあちゃんと、白河のおばちゃんと、郡山のおじちゃんと、三郷のおじちゃんの4人だけだ。



そうそう、白河のおばちゃんの話をしようと おもったんだっけ。

今日のお昼に そうめんを 茹でて お皿に盛り付けて 食べようと準備をしていたら、

おばちゃんのことを不意に思い出した。

夏休みに おばちゃんの家に行くと、 お昼はよく そうめんとか うどん とかを食べさせてもらった。

おばちゃんが 食べやすいように 一口分くらいに めんをつまんで お皿に盛るのだ。

それを おばちゃんの隣で 私も同じようにまねしてみたものだ。

子供ながらに おばちゃんの その気配りに 感心し、これからは 自分も こうやって 盛り付けよう、っておもった。

つけ汁はいつも ゴマだれ だったな。

ゴマだれは 素敵な 入れ物に入っていたっけ。

後になって分かったけど、 いつも お昼が 麺類だったのは おじちゃんが(おばちゃんの だんな様) が 麺類が好きだったからだったんだって。

おじちゃんも 優しくて 大好きだったな。

おじちゃんが 亡くなったときの おばちゃんの気丈さといったらなかった。

私はあんなふうに振舞えないだろうな、きっと。



白河に行くと 好きなもの、ほしいものは何でも買ってもらえた。

おばちゃんは 私の好きなものをよ~く知っていた。

彼女には 2人の娘がいるからなのかな?

私は自分の親には ほとんど何も買ってもらえなかったから、

白河で色々買ってもらえるのが ものすごく 嬉しかった。



おばちゃんから 私は いろんなことを教わってきたんだな。

最近 ふとしたときに よく 感じるんだよな。

おばちゃんのキッチンのように、 おばちゃんの茶の間のように、 おばちゃんの家のように、

私もきれいに すっきり 余計なものは1つたりとも置かないで 暮らしたいな。

それは うちのおばあちゃんも同じだ。

きっと 彼女たちの育った家の主 が そういうふうに 暮らしていたんだろうな。




先日も書いたけど、私のルーツは 福島にある。

つい最近も 白河の名前が 悲しいニュースとともに 流れてきたね。

福島は本当にいいところなんだよ。

白河のおばちゃんに会いに行きたいな。

今はまだ 行けないけれどね。




おばちゃん、元気にしていますか?

私は 今日のお昼に そうめんを食べました。

おばちゃんに教わったように そうめんを盛り付けたよ。

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by vivianmadokita | 2011-07-17 12:53 | おもひ

ありがとう


夕べは ずっと楽しみにしていた INTER PLAY IN MITOでした。

ライブの間中 私はずっと 泣きっぱなしでした。

俊美さんの 言葉と歌に 感動しちゃって。

俊美さんの想いが ずーんと 胸に伝わってきました。

家族を大切にすること。

本当に大切なものは 近くにあること。

それを絶対 絶対 大切にすること。

末永い 気持ちの 支援が必要であること。



私の祖母の実家も 福島県です。

小さい頃は そこへ連れて行かれる夏休みが 好きではありませんでした。

でも 夕べは再確認しました。

私のルーツは 福島にあるんだよね。

忘れちゃいけないんだよね、あの日のこと。

今でもずっとずっと 苦しんでいる人たちがいる。

だから 福島も 私たちも ふんばっぺ!


俊美さん、素敵な時間を 本当にありがとうございました。

今日も 歌を聞いて涙が出ちゃいます。

この子が生まれてきたら 俊美さんの話をして たくさんの音楽を聞かせようと想います。

ありがとう。



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by vivianmadokita | 2011-06-26 13:02 | おもひ