先週の月曜日に大好きなおばあちゃんが脳梗塞で倒れてしまった。
今までも脳梗塞はしたことがあったけれど、今回は広範囲に及んでいて最善でも寝たきりになりますよ、という先生の言葉に涙が止まらなかった。
あれから11日が経つけれどおばあちゃんはお目目を開けてくれない。
彼女とあと少ししか過ごせないのなら 毎日会いに行かなくちゃ、と思い昨日もおばあちゃんのベットの隣に腰掛けて 読書をした。
読書といっても それは私の宝物の一つである、 私が保育園に通っているときの母と保育園の先生がつけた「連絡ノート」だ。
私も今 保育園の先生とりんたの育児について連絡ノートでやりとりしている。
だから今の私にとってはこれはものすごく役立つ本なのだ。
2年分くらいあるこのノートには それこそ私という人間がどういう風であるかが事細かに書いてある。
1歳の頃から自分はこんな風だったんだ、と今も変わらないようなこともあるし、読んでいてフフッと笑ってしまう。
そしてこの連絡ノートに時々登場する言葉、”ばあちゃん”。
この日の先生の文章には涙が止まらなかった。
「1979年11月26日
昨日おやつ前にちょっと他の子に押されたら泣き出し、”ばあちゃん ばあちゃん”といいながらしばらく泣いて せっかく泣き止んだのにまただれかにやられて泣き出し、”ばあちゃん ばあちゃん”と連発。 おばあちゃん は困ったときに助けてくれる大事な人なのかもしれませんね、円ちゃんには。」
これは大人になってもそうだった。
ばあちゃんはいつも私を助けてくれた。
鍵を忘れて遊びに出かけて朝帰りしたときは ばあちゃんの部屋の窓をたたけば ばあちゃんは怒りもせず 説教もせず 起きてきて 玄関を開けてくれた。
好きな男の子にバレンタインのチョコレートをあげたいと言えば、チョコレートを買ってくれた。
彼氏に手作りお弁当を作ってあげたい、と言えば一緒に買い物に行ってくれて 一緒にお弁当を作ってくれた。
お金の無い私に、「これで彼と一緒に美味しいものでも食べておいで」といっておこづかいをくれたりもした。
私は大きくなりお嫁さんになり晴れ姿をばあちゃんに見せたし、子供を生み、ばあちゃんにはひ孫となったりんたをばあちゃんに抱かせることもできた。
それでも 今私は毎日、 もう一度抱かせてやりたい、、もう一度一緒にゴハンが食べたい、 もう一度一緒に冗談を言って笑いたい、と思ってしまうのだ。
どんなに年を重ねても、私はばあちゃんの前では小さな子供のように感じる。
病院のベッドのとなりでフンフンして泣いているのだから。
家族で相談して延命措置などは一切行わないということにした。
自然に自然に見守る。
ばあちゃんは痛いや苦しいなどは一切なく 眠り姫になっている。
お姫様がもう一度だけでいいから眠りから覚めてくれないかな。
やえちゃん!私の声が届いていますか?